の間に生きて 【生きる、希望、信仰と心】
あとがき

 私がこの「天と地の間に生きて」という題名を通して、費やしてきた月日は5年。この原稿を書き始めた当初は、頭と胸に詰まっていたすべての感情を文章にぶっつけて、思うままを書き綴ってみた

 そこに書き上げてゆく文章への取り組みは、己への挑戦でもあったし、自らの経験や知識を描写して書き綴る、作者としての達成感や優越感を頭のてっぺんにまで感じたりしたものである。それから一度、その書き下ろした文章を読み返して見た時に、そこには己以外の社会に対し憂さを晴らすような、批判的な文章だけが埋め尽くされていた。私はその文章に映していった自らの心模様、学力の拙さを通して、改めて己の無知と無能さを知ったもの確かである

 それからは山あり谷ありと、文章を書き上げることの難しさと直面し、自問自答、主観から客観的なものの見方、陽転思考という意識転換に錯誤しながらも、一応の完結にまで辿り着いてきた


 この五年間を通して得た事と言えば、初心の信念を通してやり遂げたという満足感であり、今の私の胸中を空っぽにした事である
私はこの人生のテーマ、「生きる」「希望」「信仰と心」の執筆活動を通し、改めて自らの人生観とその目的、三世(前生、現世、来世)に渡る心境を見つめる機会が得られた訳で、これもまた一重に、信仰というご縁によって授けて頂いた賜物であります

 私のこの50年を振り返れば、両親の愛情に育てられ、生死の境を潜り、人との様々を経験し、信仰という縁に辿り行いたことは何にも勝って幸せなことであったし、良い心の旅であったと思っている
信仰を持つ前の人生観と今の価値観とでは、物の見方や考え方も変わったし、心の眼という精神に着眼をするようになったと思う
それはこれまでの人生において遅からずに辿り着けた、信仰から得られた心の賜物であり、人生において出会えてきた人との御縁による他にないものである

 人生に師あり、友あり、「師は三世の契り」「友は第二の我なり」と。
その縁も現代はそぼろでありますが、ここに多くの方たちとの良縁を得て、掛け替えのない人生を共に分かち合って学び、多大な知恵と助言と信仰に導いていただいた恩師、そしてご縁をいただけた方々にも深く感謝し、心より厚くお礼を申し上げる次第であります

 最後に一言、弘法大師(空海)は「凡そ三世を通観するに、一切衆生は恩に依って生く」と言われています
 我が身、また全ての衆生は、前世から現世に宿したこの命、また来世へと繋げてゆく境遇も、今生の生き方によることを示唆している

 また、我々は親子、夫婦、社会の人間関係とあり、古き諺に「親子は一世、夫婦は二世、主従は三世」と言う
 親子の縁は「この世」だけのもの、夫婦の縁は「前世から現世」に、また今生の縁を基に「現世から来世】へとつながる縁となる
主従の縁は「前世〜現世に、そして来世」へとつながるという
 言い換えれば、我々はこの現生(今)を三世(前世、現世、来世)に渡る人物像を投影しながら生きているということである

 我々は今、個々としてこの現代をどう生きるか
まさに己を知る自覚(智を得る))ことに勝るものはなく、多くの人間関係、経てきたこの文明・文化の恩恵を受けて、今ここに生きているということである

「生きる、希望、信仰と心」をテーマとした本稿【天と地の間に生きて】を既読いただいた方々には、この現世(今)を生きる知恵となり、心の至宝となって生生発展されてゆくことを、現代の若者たちに添える言葉に置き、筆者はそれぞれが幸せになることを願い、ここを綴じと致します



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著作 2003年6月1日
筆者 ジミー F 塚田
本名、塚田文晴 1951年2月8日(東京江東区亀戸)生まれ。
学歴 第2亀戸小学校、安田学園中・高等学校、立正大学経済学部、山野高等専門美容学校卒業
履歴 信仰を荷田亀代治、鶴磨先生(故)より師事。
  御嶽山、高野山、筑波山、香取・鹿島、江の島弁財天、氷川神社、富士山、目黒不動、氏神様、浅草観音、神田明神、他