の間に生きて 第2章:2項【生きる】
【母の人生を通して育つもの】

 ものがいっぱい溢れ、溢れるようにまた新しいものが捨てられ、道ゆく人の耳には携帯電話が押しつけられて、遠到の人と会話している現在。人の意識の中で自由と社会常識とが擦れ、人に対する責任感にも軽さを感じる昨今である。人社会のモラルというものが煙の如く淡く、当然の如くに自由で豊かになった現代にあって、我々は個々の権利と個人主義の旺盛な時代を迎えてきた。
 人間の社会に、将来にあっても、人の生き方には失望感が漂い、社会が煩雑になって犯罪だけが増え、希望の光が見え難い昨今。
 
隣国との危機感には防壁で覆いたくなる程、複雑に(よじ)れきった国家関係がここに存在し、世界には貧富の差が拡がり、一つの危機が地球全体に及ぼし兼ねない国家同士の連鎖(れんさ)と、個々の利害とが絡んで、矛盾だらけの世の中になっている。
 この日本の将来像を見ても抱えている不安材料は多く、個人的にも人生生活の一生というものを真剣に考えて行かなければならない時である。


 これからは益々高齢者層が増えてゆくこの国の現実を一つの社会問題として、その中枢を担う中年層がこの国家を支えてゆく自己認識と、社会的責任感の必要性。それに将来を担う青少年層に多発する非行や犯罪など。少中高の社会問題を三層しながら全体を包み、少子化が進んでゆく日本の将来とを含めて一律にし、共にバランスを取りながらこの国を豊かにしてゆく経済的な問題は多難である。


 全てを合理的に人間の集団社会として統括し、纏め上げてゆく事は容易な事ではないが、これまでの先進国というものは、それら多くの問題を時代性に展望した、先駆的な事業として纏め上げてもきている。
 この日本もその先進国に追随して得た文化意識を高め、この国の将来を担う教育国家の国民一人一人として、人間性や道徳観、社会秩序といったものを生活活性の根底に問うてゆく必要がある。

 私が日本に帰国したのが31才の頃で、当時の日本は経済成長の真っ直中であった。
 人は盛況の生活に踊り、当時のホームレスやカラスでさえも豊かさの恩恵を受けていた時である。
 あれから10年も経たずして、日本の盛況(バブル)は崩壊し、この盛衰の中で私も人並の人生経験を味わい、今にあっては生活に(あえ)ぐ事、多くの人達と同じである。

 そんな時代の中で、私の母は68年という若さで生涯を終えてしまった。そんな時がくる事を気に留めてはいたが、人生の一人の理解者を失い、私は母の死を通して更に、生きるという新たな意義を深く考えさせられるようになった。
 今、多くの人達が人生80年以上を生きる中、68歳という生涯は短かったけれど、その母が書き綴っていたノートには、まだ先を生きてゆく老後の青写真が描かれていた。
 そんな母が他界してからは、身の廻りの事を兄や弟の嫁に頼ることとなった父の存在感に、孤独さが見えてくるのも、頼り切っていた最愛のパートナーに先立たれた人生の非業たる定めの如くであろうか。精神的にも頑強な父ではあるが、家族を夫婦で支えてきた若き日の生き生きとした面影は、今はもう昔を知る人の記憶の中にしか蘇ってこない。
 

 そんな父母に育った昔懐かしい木造の家屋が今、思い起こされて、在りし少年時代の家族の風景が浮かんでくる。一人、ガラス戸の開いた廊下に寝そべりながら、春風にそよぐ風物や太陽の射す暖かい温もりを感じていたこと。雨戸の閉まった廊下に佇みながら外を見つめ、静かな雨が屋根からぴしゃぴしゃと雨音を立てて地に落ちる光景をじっと聞いていたことも、この記憶の中に刻まれてきた昔の懐かしさである。
 そんなずっと昔の幼い頃から家宝の中にあって今、人生の無常観というものが私の心を揺さぶり始め、記憶の奥で眠っていた事柄までも蘇らせている。


 夏が来て、藪の生い茂った熱い砂浜を裸足で走って飛び跳ねて、海に抜け出した時の大きな感激や、赤く映える秋の夕日に赤とんぼが飛びまわり、物干し竿や土手の草っ原に止まって、頭をくりくり動かしながら羽を休める自然の素朴な風景が走馬燈のように蘇って来る。秋更ける寒さが軒下にまで郷愁を誘い、冷たい風に巻かれて枯れ葉が舞った。
 沈んでゆく空が孤独と淋しさを募らせ、町中に人気が陰ってゆく。
 冬に突く寒さを感じながら、お腹をぺこぺこに空かして帰れば、そこには家族の温もりがあって、音があり、兄弟がいる。

 母が掘り炬燵のテーブルの上に、夕食を運んで食卓を囲む。白黒のテレビを付け、「赤銅鈴之助」「鉄人28号」「ナショナルキッド」と、家族があるのも忘れて一生縣命テレビに夢中になっていた。家庭の匂いがプンプンしているのに何も気に留めず、坊主頭で少年時代を過ごしてきた。
 家庭があって母がいて、父や兄弟といった大切な家族がありながら、そんな事に眼も向けずに、青春時代を一筋の流れの如く、ただ真っ直ぐに人生を走り抜けてきてしまった。
 親にとっての宝が【家族】であるならば、「親」とは、家族全てを背負って生きても重くはないものであろうと、私も今、家族を持って知らされるのである。

 そんな大切な思い出の時間をいっぱい与えてくれた母にも気付く事はなく、今となってはそんな母に何一つの孝行もできなかったことを悔いている。大切な、大事な母だった筈なのに。今の家族と同じくらい、心の通い合えた大切な母だったのに、本当に私は愚か者の儘で過ごして来てしまった。心が破れそうなほど、母への悲しみが刹那に湧いてきて、心が(はじ)けそうなほど胸に痛い涙が込み上げてくる。
 「お母さんごめんね、もう二度としないから、もう二度と悲しませないから」後悔している……母の喜ぶ笑顔を見たい、もう一度、母の声が聞きたい。辛かっただろうね、淋しかっただろうね、俺はそんな母である事を知っていながらも、何も気づかぬふりをしてきた。優しく声をかけてくれていた母にもう一度、父には何もして上げられないけれど、今のこの気持ちを素直に話せていたら、どれだけ母の人生も報いられて幸せになれたであろうと……


 母が亡くなってからそんな事ばかりが思い出されて、後悔という悲痛な虚しさに深い罪意識を感じてきた。 私が娘の幸せそうな寝顔を見て手を握り締め、抱いてはあやしている愛情と同じほど、母もまた私の幼い日々を抱き、このように優しく包んで唄を歌っていてくれた、ある幼い日の記憶が思い起こされてくる。
 今、我が子を通して伝わってくる母の愛情はとても尊く、父母から受けたその愛情が今、我が子を育てているかのようである。その家族の一人一人の人生を大事に思うからこそ、己自身に強いてゆく信念と、全てを大切にしたいからこそ、反って感情が逆撫でされて相手を傷つけてまう後悔とがいっしょくたんになって、己の未熟な心に詰ってくる。


 そんな過去を立て直し、明日に向かって作り上げてゆかねばならない人生に、気を落ちつけて、育ってきた家族とこれから育てる家族の境に立って、我が身の内を探ってみる。
 生まれた時から愛情を注がれ、幼い頃から育った家族に心を学び、友を通して友情を知って来た。人の背中に己と同じ淋しさを見つけ、この世の儘ならなさを感じながら恩師を通して信仰を学び、新しい家族が生まれて再び、人生の温もりと幸せを呼び戻して来た。また、社会を通して人の生き方や考え方の違いを感じながら、今では己の愚かさも弱さも無知も私自身の心の中で目覚めている。
 人生には償い切れない罪もあり、自分が作った罪でもないのに背負って行かなければならない償いもある。無償の愛もあれば、課せられた罪もあり、人を憎む事も恨む事も、自然に逆らってでも生き、富有を求めてゆくことも、全ては人との情に絡む運命の中にある。

 全ては人生模様、己が定めて行く道であり、只ひたすら己を信じ、希望を求めて生きる男のロマン。
 高層ビルのラウンジから眺める東京の風景、「小さなものだ人の人生なんて」、自分に(うそぶ)くようにふと己の顔を鏡に向けて見ると、老いの姿が見えてくる。しかし、人生まだまだ俺は若い、これからまだまだやらなくてはならない事もあるし、学んでゆかなければならない事も沢山ある。そしてこの人生を通して、子供達に教えておかねばならない事も沢山ある。


 これからは益々この国も、国際化と共に狭くなる。
 日本人として国際社会の一員としてこの国の伝統文化を知り、良識ある自分らしさでいい。世間に視野を広くして物事を考え、信念と人生の目的に決めた意欲を持って生きて行く。この社会に起こる多くの不幸を人生の教訓として、立派に生きる人、生きた人達を目標に、古く閉鎖的な共栄性のない人間関係のしがらみや、小さな社会概念に捕らわれる事なく、崇高な人生ロマンと理想を持って歩んで行こうと思うのである。

生きる:【歩み】
第2章:希 望 第3章:信仰と心